憧れだったオープンカー

中学生の頃にオールディーズな音楽が好きになり、古き佳き時代のアメリカに憧れた。1950年代が舞台の洋画など見るという、必ず顕れるのが大きなオープンカーだった。サイドが白いタイヤで、車本体の色がピンクとか水色とか。フワフワしたスカートをはいた女の子が、リーゼントでリーバイスにチェック柄のシャツを着た男の子と共に乗っていて、コカ・コーラか何か飲んでいる、そういう世界。18歳になって免許を取ったら、そんなファッションを通してオープンカーに乗ろうというのが当時の私の夢だった。高校を卒業して本屋でバイト。学校が終わるとまっすぐバイト先へ急いです。相当お金も貯まって、教習所へ通い始めた。学校から真面目に出向き、仮免を取って甲州街道を教官と共に教習やるその時だった。赤信号で止まると、隣の車線に憧れだった大きなアメ車のオープンカー。夏の暑い日だった。これからあの車にも乗れるようになる、といった一生懸命に免許取得に対して励んです。そうしてめでたく普通自動車第一種免許取得。家で初めての車を買うことになった。うちは真面目なサラリーマン家庭。しかも祖父母もいて、病院への送迎なんかも期待している。結局、最初に購入となった車は国産のセダンだった。ただし、どうしたってオープンカーへの夢を諦めきれない。夜になると「運転の練習」と言い訳して、街道沿いにいるユースドカー店を見てまわっていた。そうしてある日、遂に私はオープンカーを発見した。2シーターのフルオープン。1500ccの小型ブリティッシュライトウェイトスポーツ。MGミジェットという英国車だった。アメリカンなオープンカーでは無いけれど、オープンカーはオープンカー。小さくて初心者には丁度良いし、三角窓もあってお洒落。まだまだ新車を買って半年も経っていないのに、せがんでせがんで親に頼んで購入してもらった。勤めから帰ってきても、用も薄いのに初心者マークをつけて乗り歩いた。初心者だったし、道も知らないから、知らないうちに渋谷に迷い込んで道玄坂でエンストしてしまって、いたたまれない思いをしたこともある。英国車は気持ちいい気候の地域に向いているので、湿気のある夏に東京で乗ずるには大変だったが結局、7年間も私の下手な運転に付き合ってくれて廃車を迎えた。いつも車でオールディーズのカセットテープをかけて、古き佳き時代の雰囲気に勝手に浸ったつもりで楽しんでいた、初心者時代の想い出の車です。スポーツカー

私のクルマライフ

私といった車との付き合いは50年近くになります。会社に勤めて3年ほど経ったときに免許を取り去りました。将来支店に出て営業係になった時折、必要になるだろうとの考えでした。私の友人に予備校のときに免許をとって、車を持っている友人がいました。車はまだ高値の華の時代でした。その後2年ぐらい経ってから中古の1000ccのつまらない車を買いました。20万円でした。初任給が2万円でしたので、どうしても良いという気持ちって私にも車がもてる時代になったのだという満足がありました。そのころ会社の若手と共に車3台くらいでドライブにそれほど行きました。後ろに会社の女性を乗っけて・・箱根なんかもそれほど行きました。みな若かったころだ。後は装備を積んで、キャンプなんかにも・・その後、支店に出て営業係りに、オートバイに乗ずることも憶えました。営業係の七つ道具だ。思い切り転びましたね。大怪我をしなくて良かったです。ズボンはそれほど破きました。若い営業係時代の思い出だ。カミさんって子供を2人乗せて京都へ行ったこともありました。依然として子供がおしめをしている頃だ。京都が一番遠いドライブでした。お寺さんに泊まって、勤行・説教を聞きました。その頃は車通勤が認められていました。かなり車で通勤していました。マージャンで夜中に舞い戻ることも度々でした。その支店の友人といった京都に行ったのも、よき思い出だ。その後本店に移った時折、車通勤は禁止されました。その頃は毎週のようにゴルフに行きました。先輩を乗せていきました。10年ぐらいはゴルフにこりました。ハンデも13まで行きました。ゴルフが面白くてダメダメ時期でした。その後、車も何台か入れ換えました。今は軽自動車に乗っている。小回りがきいて、助かります。ほとんどスーパーカーだ。遠出も箱根どまりだ。左車線をトコトコって走っている。わたしの友人でプリュウスに替えたのが2人いる。誠に燃費がいいと自慢していました。私は、これからもマイペースで街の中を走り回るつもりだ。いくつまで車の運転ができるかなと思っている昨今だ。軽自動車 人気 ランキング